第2話 幻影と現実―11

「家を出てからは、そんなに気をつけては見なくなりました。そういうことに心配りをする必要がなくなりましたからね。」
 これは半分は嘘であった。彼は髪には気をつかわなくなったかもしれないが、オーギュストに似せた口ひげの手入れは、実のところ毎日続けていたのである。

「その必要ができたってことだよ。」
 ガブリエルは、ディマンシュに自分の手鏡を差し出した。ディマンシュは、鏡に映った自分の無表情な顔をじっと見つめていた。やがて、手鏡を置くと、首を振ってこう言った。
「全然違いますね。おじさんはもっと崇高な顔立ちをしていました。」
崇高…だって?」

 ガブリエルは、自分の記憶の中のオーギュストには全く似つかわしくない言葉がこの青年の口から発せられるのを聞いて驚いた。
『確かに、生真面目ではあったけど、食いしん坊で、飲み助で、泣き上戸で、下手くそな歌ばかり歌ってたあの人の、いったいどこが崇高だっていうんだろう。どうやら、そうとう美化されてるようだね。』

この記事へのコメント

2006年03月12日 00:20
かっぱえびせんのように途中で本を閉じられない感じです。ガブリエルのイライラが伝わってきます。大人げないというか、かわいいというか。朝起きないシーンでは少し焦りましたが。中年男がすぐ話題をあっちの方へ持っていこうとする辺りは日本人と変わらないので素朴にリアルです。ガブとディマンシュの戦いは面白いです。ディマンシュを100叩きの刑にしたい衝動にかられていそうなガブリエル。
2006年03月12日 20:30
沢里尊さん、こちらにお越しくださってありがとうございます。
「かっぱえびせん」とは言い得て妙ですね。
おっしゃるとおりの暴力主義者ガブリエルとあくまで冷静なディマンシュが今後どんなやり取りを見せるか、どうぞお楽しみください。

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